バニリンを含ませたムエット。甘く、温かく、ミルクと細かな小麦粉のよう。多くの人にとって、その香りは描写で止まらず、ある台所、ある食卓、かまどのそばに立つ誰かを開く。科学にはこれについていくつかの説明があり、その大半は解剖学のなかにある。
ひとつの香りと、ひとつの部屋
バニリン分子は、8個の炭素原子、ひとつのベンゼン環、ひとつのアルデヒド基をもつ。その構造のどこにも部屋は入っていない。それでも嗅いだとき、多くの人はまず甘いとも温かいとも言わず、ある場所の名を口にする。
実験室より先に、文学がこの現象を書きとめた。マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』で、語り手は紅茶に浸したマドレーヌを味わい、子ども時代の記憶のひと続きが、呼ばれもしないのに戻ってくる。プルーストはそれを無意志的記憶と呼んだ。その一節は匂いよりも味について語っているが、この名はのちに匂いにしっかり結びつくことになった。
その場面には奇妙なところがある。味わうことも嗅ぐことも意図的だが、そのあとに来る記憶はそうではない。語り手は過去を探していない。過去のほうがひとりでにやって来る。バニリンのムエットも同じだ。嗅ぐ人は素材を評価するつもりでいるだけなのに、古い台所が招かれもせずに現れる。
その一節から、心理学はひとつの名を借りた。プルースト効果。匂いによって呼び戻される自伝的記憶のことだ。この言葉は言うのはたやすく、測るのは難しい。この記事の残りでは、解剖学が示すこと、研究が測ったこと、そしてまだ一般的な印象にとどまることを順にたどる。
鼻から記憶への短い道
嗅覚の信号は、ほかのどの感覚よりも中継点の少ない経路をたどる。視覚、聴覚、触覚は、いずれも大脳皮質に届く前に視床の中継を通る。嗅覚は通らない。嗅球から、信号は梨状皮質を含む一次嗅覚皮質へまっすぐ向かう。
嗅球はまた、情動の処理に関わる脳の構造である扁桃体へも直接投射している。扁桃体は嗅覚の情報を、出来事の記憶の形成の中心となる領域、海馬へ受け渡す。もう一つの枝は眼窩前頭皮質に届く。
この解剖学が、匂いと記憶の結びつきについてもっともよく挙げられる説明である。それが示すのは一つの可能性だ。匂いの信号は、わずかな中間段階を経るだけで、情動と記憶を扱う領域のすぐ近くに届く。だがそれだけでは、匂いが映像や音よりも強く記憶を呼び起こすことの証明にはならない。それには測定が要る。
記事四百の受容体とひとつの分子は、その道の手前の部分、ムエットから嗅球までをたどっている。ここでは一つの像で十分だ。分子から古い台所までの道は、人が思うより短い。
プルースト効果と研究
自伝的記憶には年齢の分布がある。言葉を手がかりにすると、大人は11歳から25歳の出来事をもっとも多く思い出す。これはレミニセンス・バンプと呼ばれる。2000年、Chu と Downes は言葉の代わりに匂いで記憶を呼び起こした。匂いを手がかりにした記憶は6〜10歳ごろにピークを迎え、その後減った。名前を手がかりにした記憶は、やはり思春期から成人初期にピークがあった。
その結果は別のかたちでも再現されている。2020年、スウェーデンのあるグループが、幼いころから目の見えない人と見える人を比べた。どちらのグループでも、音を手がかりにした記憶は最初の20年に広がっていたが、匂いを手がかりにした記憶はまたも幼少期の早い時期に集まっていた。
2002年の Herz と Schooler は、別のものを測った。参加者はある出来事を思い出し、それから同じ物を匂い、画像、名前のいずれかで与えられた。匂いを伴った記憶はより情動的だと評価され、参加者は元の出来事へ引き戻されたと感じる傾向があった。2004年、Herz は焚き火、刈った草、ポップコーンという三つの物を、匂い、写真、音として用いた。匂いを手がかりにした記憶はより情動的だったが、より鮮明でも、より具体的でもなかった。
その最後の細部が重要だ。匂いが記憶をより正確に呼び戻すことを、研究は示していない。測られたのは、記憶の年齢と、思い出すときの情動の質である。匂いはごく幼い年月まで届き、感情を伴って戻ってくる。記憶の正確さは変わらない。
バニリン、クマリン、共有される匂い
摘みたてのバニラのさやでは、バニリンはまだ自由な状態にない。配糖体の中にとどまり、収穫後のさやのゆっくりした加工のあいだにはじめて放たれる。バニリンはバニラの主成分で、その香りは古典的なバニラ、甘く、温かく、クリーミーで、軽くパウダリーと描かれる。
1874年、フェルディナント・ティーマンとヴィルヘルム・ハーマンはバニリンの構造を決定し、松の樹皮に含まれる配糖体コニフェリンからそれを合成する方法を見つけた。最初の工場はドイツのホルツミンデンにあった。以来バニリンは、高用量かつ低コストで使える素材となり、菓子、飲み物、香水に入っていった。1925年、ゲランのシャリマーはベースにバニラとバルサムを置き、その香水は今もつくられている。
クマリンは並行する道をたどった。刈りたての干し草のように香り、蜜のように甘く、バニラのニュアンスがある。トンカ豆はクマリンを最大で約50%含む。ウィリアム・ヘンリー・パーキンは1868年にクマリンを合成し、ふつう1882年とされるウビガンのFougère Royale は、合成分子を軸に組まれた最初の香水の一つだった。
二つの分子には注目すべき共通点がある。同じ時期に安価になり広まり、その後1世紀以上、食品、石けん、香水の中にとどまった。クマリンは現在、洗い流さない製品で10 ppm を超えると EU の化粧品表示で申告が必要なアレルゲンであり、米国では1954年から食品への使用が禁止されている。だがその香りは、すでに非常に多くの家庭に届いていた。
ありふれた匂いほど、それに結びついた自分だけの記憶をもつ人が多い。バニラと干し草が記憶を呼び起こすのは、それ自体が特別だからではなく、あまりに多くの台所に、あまりに長く存在していたからだ。
記憶は名前ではなく、物に結びつく
同じクマリンのムエットで、二人がまったく無関係な二つの場所を思い出すことがある。干し草の屋根裏、祖父のたばこ缶、一個の石けん。分子は同じだ。違うのは、それぞれがそれに初めて出会ったときである。
2004年の Herz の研究は、これをデータの水準で記録した。参加者の年齢、性別、居住地域が、手がかりによっては記憶の質に影響していた。著者は、過去の経験が主要な影響要因だと結論づけた。匂いは記憶を携えてやって来るのではない。その人がすでに持っている記憶への接続点にすぎない。
匂いの記憶が名前より具体的な物に結びつきやすいのはこのためだ。バニリンやクマリンの名を言えない人でも、その匂いのそばにいたことがあると即座にわかることがある。名前はあとから来る。ときには来ないままだ。
ある場所で心地よいとされる匂いが、別の場所では奇妙だと思われる理由もこれで説明がつく。匂いは国境を越えても変わらない。変わるのは、嗅ぐ人の記憶の蔵である。
ある時代の匂い
どの時代にも、いちばん安い分子がある。19世紀末には合成バニリンとクマリンがあった。20世紀は合成ムスク、アルデヒド、ヘディオンを加えた。それらの分子は石けん、洗剤、クリーム、ケーキに入り、何十年ものあいだ家庭の背景の匂いになった。
匂いを手がかりにした記憶はもっとも早い年月に集まるため、子ども時代の背景の匂いは特別な重みをもつ。一つの石けん、一つのケーキ、ある親族の香水とともに育った人は、それらの物が棚から消えたずっと後も、その匂いの組み合わせを持ち運ぶ。
ライブラリの香りの輪では、バニラと干し草は決まった場所にあり、共有された言葉で描かれている。だが輪には、一人ひとりがその場所に何を置くかは記録できない。その部分は、分子ではなく、嗅ぐ人のものだ。
この記事は、匂いを使って感情を呼び出したり整えたりする方法を示さない。現在の研究が記述しているのは現象だけだ。匂いは幼い年月まで届き、感情を連れて戻る。残りは今も、それぞれの台所のものである。
分子には記憶がない。
それを嗅ぐ人にはある。
匂いは、その二つをつなぐいちばん短い道にすぎない。